東京地方裁判所 昭和27年(ヨ)1040号 決定
申請人 帆足計 外一名
被申請人 国
一、主 文
本件申請を却下する。
訴訟費用は申請人等の負担とする。
二、理 由
申請人らの本件仮処分申請の趣旨は「一、申請人らが、ソヴイエート連邦モスクワ市において昭和二十七年四月三日より同月十日まで開催せられる国際経済会議に参加のため、モスクワ市に赴く資格ある海外渡航者たる地位を仮に定める。二、被申請人は申請人らが右の目的でモスクワ市に赴くことを実力をもつて妨害してはならない。」及び予備的に「三、申請人らが昭和二十七年二月二十五日附をもつて、東京都知事安井誠一郎を経由外務大臣吉田茂に対し、昭和二十七年四月三日より同月十日までソヴイエート連邦モスクワ市において開催せられる国際経済会議に参加の目的でモスクワ市に赴くためなした旅券交付申請に対し、外務大臣吉田茂が右旅券交付を拒否した行政処分の意思表示は、申請人被申請人間の行政処分無効確認事件の判決確定に至るまでその効力を停止する。」というのであり、その申請の理由として述べているところを要約すれば次の通りである。
一、申請人帆足は昭和二十六年十二月十日頃在パリー国際経済会議発起人会オスカー・ランゲ博士から、昭和二十七年四月三日より同月十日まで、ソヴイエート連邦モスクワ市に於て開催予定の国際経済会議の出席招請状を受領したもの、申請人宮腰は、申請外平野義太郎が右ランゲ博士より日本国内における右会議出席者の選考を委嘱せられたことに基き、経理専門家として同会議に出席を奨められたので、昭和二十七年二月中旬出席を希望し、その頃駐日ソヴイエート連邦代表部から入国許可証を与えられたものである。
二、そこで申請人等は右国際経済会議に参加するため、同年二月二十五日東京都知事を経由して外務大臣に対し、モスクワ行旅券の交付申請をなし、右申請書は翌二十六日、外務省に伝達された。
三、これよりさき、同年一月頃より外務当局の意見として、右国際会議参加のための旅券は交付しないという趣旨の記事が屡々新聞紙上に報道されていたので、申請人等は再三外務省の意向を確めていたが、確答を得るにまで至つていなかつたし、且つ会議参加のため諸般の準備もあるので、右旅券交付申請書提出と同時に、外務省欧米局渡航課長宛に、五日以内に旅券を交付せられたく、期間内に交付されない場合は、旅券交付を拒否したものと認める旨の書翰を手交し、早急に旅券交付の許否処分をするように促しておいた。
四、然るに外務当局は、
(1) 旅券法第十三条第五号及び同法第十九条第一項第四号の解釈適用問題につき考慮中であること、
(2) 国際経済会議の性格、ソヴイエート連邦の現在の一般事情、渡航申請者の適格性、身許証明等諸関係事項につき資料を蒐集検討中であること、
を理由として旅券の交付を遷延し漸く同年三月十五日に至り、申請人らの生命身体の保護のため旅券法第十九条第一項第四号により旅券を発行しない旨の意思を表示した。
五、然しながら、外務当局が右旅券交付申請に対する決定遅延並に発行拒否の理由として掲げている事項は、いずれも全く理由のないものである。即ち。前記(1)の旅券法第十九条第一項第四号は、一旦交付した旅券の返納に関する規定であるから、本件の場合に適用はない。仮に拡張適用があるとしても、ソヴイエート政府は申請人等会議参加者の生命及び安全を公文書を以て保証しているのであるから、申請人等が同条項に該当するものでないこと明かである。又同法第十三条第一項第五号の事項については、申請人帆足は前参議院議員として、申請人宮腰は現衆議院議員として、いずれも既に厳重な資格審査を経ているものであるから、これが審査に長期の日数を要するわけはない。更に(2)については、申請人等としては、本件旅券交付申請に先立ち、昭和二十七年一月中旬以来外務当局に対し、渡航の意思あることを再三表明して居り、且つ正式に旅券の交付申請をしてから、既に十数日を経過してなお調査が完了しないとは到底考えられないのである。
六、元来海外に渡航することの自由は、憲法第二十二条により保障された基本的人権であり、国家と雖も正当の理由なくして奪うべからざるものである。然るに外務当局は前記のように申請人等が国際経済会議に参加するためモスクワ行の旅券の交付方を申請したのに対し、何等首肯するに足る理由なくこれが交付を遷延し遂に不法にこれを拒絶して申請人等の渡航を妨害している。
七、よつて申請人等は被申請人国に対し、申請人等が右国際経済会議に参加するため、海外渡航の権利があることの確認を求めるため訴訟提起の準備中であるが、右会議の日時の関係よりして、本案判決の確定を俟つていたのでは、仮令勝訴の判決を得ても、その実効を期することができないこと明白であるから、申請人等の右渡航権を保全するため、申請の趣旨記載のような仮処分命令を求める。(疏明省略)
右申請理由に対する当裁判所の判断は次の通りである。
すべて日本国民は海外渡航の自由を有し、国家と雖も濫りにこれを侵してはならないことは申請人等が主張する通りである。然しながら、右渡航の自由が公共の福祉の見地から若干の制限を受けることあるべきは当然であつて、出入国管理令が日本人の出国及び帰国の場合に旅券の所持を必要と定め、旅券法が旅券交付の要件手続等を規定しているのも、いずれも、この意味に於ける渡航自由の制限であつて、海外に渡航しようとする者は必ず先づ右旅券法の規定に従つて所管行政官庁に対し旅券の交付申請をなすべく、その発行を受けて初めて、適法に渡航できることになるのであつて、仮令旅券の交付を受ける資格において欠けるところがなくても、現実に旅券の交付を受けない限り、勝手に海外に渡航することは許されず、又旅券の交付を受けてもこれを所持しない限り渡航することはできないのである。このことは海外渡航の自由が憲法により保障せられた基本的人権なることを認むることと矛盾するものではなく、前記旅券法及び出入国管理令を無効と云いえない以上否定することのできないものと解するのが相当である。ただ所管行政庁は旅券交付の申請にして旅券法に定める要件を具備するものについては遅滞なくこれを発行すべく、又同法による旅券発給の制限条項に該当するものと認める場合には速やかに旅券を発行しない旨の決定をなすべきであつて、徒らに許否の決定を遅延させるような態度を採るべきでないこと勿論である。従つて若し本件の場合に於て外務当局が申請人等の主張するように、何等正当の理由なくして旅券発行を拒否し又その処分を遅延させていたのであれば、その不当なことは明かである。然しながらこの不当を理由に直ちに裁判所に対し、旅券交付のあつたのと同様の権利を申請人らに認めんことを求むるのは現行法上許されぬところというべきである。何となればそれは結局司法機関である裁判所に対し、所管行政官庁が旅券の発行をしたのと同様の積極的効果を生ずることを内容とする裁判を求めるものと謂うに帰着し、かような裁判は行政庁に属する旅券発行の権限を裁判所が代つて行使するに等しいものであるから、三権分立を原則とする我が憲法の根本原則に照らしなしえないところである。即ち法律に特にこの種の裁判をなしうることにつき明文のない以上は許されないものと云わねばならない。ことに保全訴訟の如き仮の処分をなすに止る場合について然りというべくこのことは行政処分については仮処分に関する民事訴訟法の規定を適用しない旨の行政事件訴訟特例法第十条第七項の規定の趣旨からも、これを窺い知ることができる。然らば本案の請求は如何なる趣旨のものなるにせよ本件申請の趣旨一、二の如き仮処分はこれをなしえないものと云わざるをえない。
また申請人等は予備的に外務大臣の旅券下附申請拒否の意思表示の効力を停止する旨の仮処分を求めているが、かかる仮処分の申請は所謂抗告訴訟又は行政庁を相手として行政処分の無効確認の訴を提起した場合に限り行政事件訴訟特例法第十条第二項の制限の下に審理せらるべきものと解するから、未だ右訴訟の提起なき本件において右申請は不適法と云わざるをえない。
以上の理由により申請人らの本件仮処分の申請を失当としてこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条を適用して主文の通り決定する。
(裁判官 谷口茂栄 安岡満彦 村上悦雄)
(目録省略)